デザインテクノロジーの最前線 - 桐山孝司

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2009.10.13アナログメディアの信頼感

アルス・エレクトロニカはオーストリアのリンツ市で毎年開かれるメディアアートのフェスティバルである。今年9月にそのフェスティバルを見る機会があったのだが、何より興味深かったのは、そこに出てくる多くの作品の志向性が技術自体よりも人間や社会、自然などに向いていたことだった。

ハイブリッドアートの部門で受賞したThe New York Times Special Editionは、ニューヨークタイムズ紙の偽の特別号を街頭で配ったプロジェクトである。この特別号はニューヨークタイムズのロゴから全14ページの紙面レイアウト、広告にいたるまで本物そっくりに作られている。一面の記事は「イラク戦争終結」で、夕日をバックに撤退していくヘリコプターの写真がいかにももっともらしい。

ただし配られたのは2008年11月12日なのに、日付は2009年7月4日、つまり8ヶ月先の独立記念日になっている。そして「イラク戦争終結」以外にも「所得上限法が成立」「公的健康保険法が可決」など、あまりにも良い記事ばかりが並んでいるのである。そのため読めばすぐウソだと気づく。

他の大小の記事もすべて「軍志願者募集用の戦争ビデオゲームを廃止、代わりに国際感覚を磨く外交ゲームを導入」「政府関係の広報企業が大量解雇」「石油会社が利益を新エネルギー開発に投入」などあり得ないものばかりだ。しかし石油会社のエクソンが新エネルギー開発を支持しますという(もちろんウソの)全面広告まで良くできていて、つい細部まで読んでしまうのである。うれしくなるような良いニュースを読ませることで、無意識にあきらめていた可能性を思い出させるという、なかなかの高等戦術である。

この特別号を準備するには、ライター、デザイナーが100人以上関わったそうである。そして当日はニューヨークタイムズのエプロンを着けたボランティアがニューヨークの街角に立って8万部の新聞を配った。受け取った人は真顔で紙面に読み入るが、やがてフェイクとわかると苦笑いする。その様子もビデオで撮っていて、インタビュアーが「どう思いましたか」と訊くと、「こうなるべきだよ」「きっとやれば実現すると思う」などと答えている。中にはフェイクとわかった瞬間に返しに来る男性もいるので、いい反応も悪い反応もあったようである。本家のニューヨークタイムズについては、法律部門から警告があったが、自分たちは小さいグループだと説明したらそれ以上何もいってこなかったそうである。

このプロジェクトを仕掛けたスティーヴ・ランバートはもともと、イラク戦争が終結したという想定のパレードの企画を練っていたそうだ。そこからパレードの参加者が戦争終結の新聞を掲げているというビジュアルのイメージが膨らんで、結局新聞を作ることになった。彼は自分をアクティビスト(活動家)と呼んでいるが、言葉から想像するような堅さはなく、どちらかというとユーモア豊かな人好きのするタイプである。ランバート氏はこのプロジェクトが皮肉でなく、そうありたいと思う人々の心を面白くかつ誠実に具体化したことが大事だという。

このプロジェクトが新聞というアナログなメディアに行き着いていることには注目しておきたい。彼らは新聞と同時にウェブサイトも公開しているのだが、ウェブだけではこれだけの反応はなかっただろう。ところが新聞は受け取ってしばらくの間だけでも、可能性を信じて読むことができる。新聞は印刷するのに費用がかかるという事実の重みもあるが、従来からつきあってきたアナログメディアが持っている信頼感や、自分の手の中に物として存在するという存在感も大きい。ランバート氏自身、機能するならばデジタルでもアナログでもどんなメディアでもよかったといっているが、このプロジェクトは人に可能性を信じさせるためのアナログメディアの上手な使い方を示したといえるだろう。

1987年に始まったアルス・エレクトロニカはもともとコンピュータやネットワーク、映像などの電子メディアの新しい可能性を見せるフェスティバルだった。しかしそういった技術が当たり前になった現在、電子メディアを得て何をするかがテーマになっている。そこで関心が人間の信頼や希望といった感情を伴う面に向かうとき、改めてアナログメディアの力を見つけてそこをデジタルでバックアップすることも多くなるだろう。信頼や感情に働きかけるアナログメディアは、これからますます面白いプロジェクトが出てくる領域である。


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スティーヴ・ランバート氏とニューヨークタイムズ特別号