デザインテクノロジーの最前線 - 桐山孝司

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2010.09.18産業エスノグラフィー会議

今年8月に東京で、EPIC (Ethnographic Praxis in Industry Conference)という産業におけるエスノグラフィーの会議があった。各国から合わせて300人以上の参加者があり、発表、ワークショップ、展示、ツアーなど多彩なプログラムであった。

エスノグラフィーはもともと、生活や文化に入り込んで観察をする人類学の研究手法である。それが産業との関連で活躍の場を見つけたのは、1980年頃にXerox PARCが仕事環境を観察するコーポレート・エスノグラフィーを始めてからといわれている。その後、デザインの改良、組織の生産性向上、新市場の調査などさまざまな目的でエスノグラフィーによる観察が行なわれるようになった。

その広がりの一例を挙げれば、ノキアのJan Chipchaseらは2006年にウガンダで携帯電話に関するエスノグラフィー調査をしている。村の共同通信所になっているビレッジ・フォーンのキオスクには10mの高さのアンテナが立ち、車のバッテリーで充電する携帯電話がある。利用者は通話時間と通話先に応じた料金を払って話すのだそうだが、携帯は個人で持つのが当たり前の我々にはちょっとした驚きである。よくかける番号はキオスクの管理人が帳簿に書き込んでおいて必要なときに調べてくれるのも、機器の使い方の知恵として面白い。ちなみによく使われる番号は病院、タクシー、市場などで、ラジオ番組への電話というのも多いそうである。

今回EPICに参加した印象は、現在の産業エスノグラフィーが手法、対象とも次の展開を待つ時期に来ているということであった。そのひとつの方向は、メディア機器を使ったボトムアップな情報収集である。たとえばビデオはエスノグラフィーのためのメディアとして多く使われており、さかのぼれば60年代にジャン・ルーシュが撮影者の意図を排除してありのままを映画に撮ろうとしたシネマ・ヴェリテにまで行きつく。しかしビデオの撮影者はどうしても部外者であり、プライベートなところには入り込めない。そこでインテル社のスーザン・フォルカー氏らは、観察者でなく当事者自身にビデオを撮影させている。いつどのようにテレビを観ているかというプライベートなテーマについて、参加者が自分でビデオレポートするのである。これがかなり面白く、「孫を寝かしつけていたら好きなドラマを観遅れた」というパリの女性、キッチンに置いたテレビを観ながら料理をしている東京の主婦、車を運転しながらテレビを観ている東京の男性、ガールフレンドとインド料理を食べた後でBBCのオンデマンド再放送をMacのiPlayerで観るロンドンの若者など、生活の断片がよく見える。「まだテレビを観ている人がいたの?」というほどテレビ離れしているインテル社内の人に、これだけ多様なテレビの観方があるという現実を見せられたのは、この方法ならではであろう。発表したフォルカー氏は映像制作のバックグラウンドから来ているということだったが、このような人が撮影や編集の影響を考えながらエスノグラフィーを実践しているのは有意義だと思う。

もうひとつの方向は、同じ情報産業でも従来ユーザーエクスペリエンスとはあまり関係のなかったような分野への進出である。例えばLinuxはオープンソースで開発されており、さまざまなソフトウエアツールが無料でダウンロードできる。しかしオープンソースに貢献する開発者だけでは、機能の開発は進んでも、一般ユーザーにとって使いやすいツールができるとは限らない。LinuxのひとつであるUbuntuの商業利用を進めるカノニカル社は、使いやすさを重視してオープンソース業界でエスノグラフィー調査を行なっている珍しい企業である。同社デザインチームのシャーリーン・ポワリエ氏は、Empathyというメッセージングクライアントの調査をした。その結果、ユーザーが自分自身の情報がどう相手に見えているのかわからない、グループでチャットする方法がわからない、ファイル転送の機能があってもそのアイコンが点滅したときどうやって受信すればよいかわからない、などのユーザビリティの問題があることを指摘した。ただそれを伝えようとしてもデザイナーと開発者の連携がまだ十分でなく、バグレポートのように具体的な修正方法として書かないと開発者には伝わらない。文化の違いもあって、Rhythmboxという音楽管理ソフトの場合などは「そんなにユーザーの意見を聞くと他の商用ソフトと同じようになってしまう」という開発者からの抵抗もあったそうである。そのためユーザーエクスペリエンスの言葉を代弁してくれる開発者が必要なのが目下の課題ということであった。

EPICではエスノグラフィーの会議らしい趣向として、日本の文化の「道と型」を知るツアーがあった。琴、華道、茶道、落語、合気道などの実演を見に出かけて行くのだが、伝統芸能にならんでコスプレやメイドカフェも道のひとつに数えられていた。私は東京都市大学環境情報学部の岡部大介先生のアレンジによるコスプレを見学させてもらったのだが、コスプレ歴6年の雅春さんらが海外の参加者からの質問に答える言葉には大変好感が持てた。彼女らのコスプレはアニメのキャラクターからインスピレーションを受けてはいるが、自分で衣装の制作やメイクの工夫をして、もとのキャラクターを超えるようなクリエイティブな演出を行なっている。そしてコスプレが作品として残るのは写真ということもよくわかっていて、写真を見せてもらうとポーズだけでなく物語の一コマのような動きのある場面も作っている。結局、自分たちが価値のあると思う世界を衣装、美術、写真からイベント、ネット上のコミュニティに至るまで作り上げているのである。産業かどうかはともかく、これからのエスノグラフィーには、コスプレのように好きなことに追求を惜しまない文化のクリエイティブな面を見せてくれることに期待がかかっていると思う。


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左はコスプレのツアーで実演する雅春さん。右は参加者が撮影するビデオエスノグラフィーの発表をしたインテル社のスーザン・フォルカー氏。