デザインテクノロジーの最前線 - 桐山孝司

m.c.t.ホーム > エクスペリエンスマガジン > デザインテクノロジーの最前線 - 桐山孝司 > 複雑さとデザイン

2011.04.20複雑さとデザイン

半年ほど前になるが、認知科学者のノーマン教授が「Living with Complexity」という本を出した。「誰のためのデザイン?」が出てから20年以上経つが、その間にノーマン教授の関心も使いやすさ、知能、感情、サービスと少しずつモノから人間や社会へと移っている。そして今回のテーマは複雑さで、人間は複雑な世界に住んでいるのだから、人間を助けるデザインも複雑さに取り組まなければならないというのが話の入口である。

今回の著書の面白いところの一つは、実際の世界の複雑さ(complexity)と頭の中で混乱するややこしさ(complicated)を切り分けていることである。ノーマン教授はピアノを例に挙げて、88個の鍵と3個のペダルがあるからといって、ピアノのインタフェースがややこしいという人はいないという。何オクターブにもわたって微妙な強弱で音を出すメカニズムは確かに複雑だが、それを動かすインタフェースが洗練されていればどこにもややこしさはなく、人間は演奏に集中できる。ここでのデザインの役割は複雑なメカニズムを包み込んで、整理されたインタフェースを提示することである。

複雑さを扱うにはインタフェースのデザインだけでなく、人間の側からの協調も必要である。たとえば、流通で使うバーコードリーダーは、多様な商品の番号を入力する作業を簡単にしてくれる。しかし、当て方が悪くてバーコードが読めなかったり、正しく画像認識ができず、誤り検出にひっかかったりすることもある。この場合、次の作業に移る前にすぐ人間に読み取りエラーを知らせれば、人間もストレスなくもう一度読み取りをやり直すことができる。しかもエラーがあったことを知らせておけば、次から人間も使い方がうまくなり、結局エラー自体が少なくなることも期待できる。つまり、使い方も含めたデザインによって機械と人間の協調関係ができ、複雑さへの対処がうまくいくわけである。

今回の著書のもう一つの面白いところは、複雑さに対処する手がかりとしてシグニファイア(signifier)を挙げていることである。ノーマン教授のいうシグニファイアとは、何かをしてもよいという認識可能なサインである。たとえば、横断歩道はここを渡っても良いという社会的な許可を、手紙の封印は勝手に開けてはいけないという送信者の意図を表すシグニファイアである。特に知らない場所や知らない文化に入ると、どのような行動が適切かを他人が出すシグニファイアを見て掴む必要がある。制度や他人の行動から得られる社会的なシグニファイアは我々の周りにたくさんあり、複雑な社会の中で正しい行動を誘導するのに役立っている。社会的なシグニファイアをうまく利用することで、複雑な中にも行動しやすい環境をデザインできるということである。

ノーマン教授はアフォーダンスという言葉をデザインと人間の適合性の説明に使ったことで有名である。ある動作がしやすい形を与えておくと、自然にユーザの動作が誘導され、ひいては使いやすいデザインができるというのがアフォーダンスの意図するところである。例えば出っ張った取っ手があれば自然にドアをこちら側に引こうとし、取っ手がなければドアを向こうに押そうとする。その意味では以前からアフォーダンスと呼んでいたものはシグニファイアに他ならないのだが、横断歩道や封印などは物理的に動作をしやすくする以上に視覚的に意味を伝える役割をしている。もともとアフォーダンスは生物が生きて行く上で利用できるものという意味で心理学者のギブソンが提示した概念だが、それを人間にとっての意味にまで広げて混乱したという経緯があり、アフォーダンスとは区別してシグニファイアという言葉が改めて提示されている。

今回の著書の中には、リビングルームに増え続けるたくさんのリモコンの機能を一つにまとめて、テレビを見る、音楽を聴くなど目的別に整理するユニバーサルリモコンが出てくる。しかし、この製品が日本で発売されていないのを見ると、個々のリモコンを捨てて機能だけを集めて整理するのは日本の好みに合わない面もあるのではと思う。日本の環境ではリモコンが増えて多少複雑になっても、ブランドのイメージや製品本体に合ったものを使いたいという心が強いのではないだろうか。このように複雑さのデザインには文化的な背景も関係するので奥が深く、今後さらに開拓されるべき分野であろう。


Donald A. Norman, Living with Complexity, The MIT Press (2010).

0420配信.jpg

本の表紙になっている塩と胡椒のシェーカー。穴が多い方を塩にするか胡椒にするかはレストランによるが、複雑さを相手にしなければならない客としては、他人の動作や店の様子からシグニファイアを読み取る必要がある。