デザインテクノロジーの最前線 - 桐山孝司

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2012.01.06アンビエント・インテリジェンス

アンビエント・インテリジェンス(環境知能)は、生活や仕事の環境の中に、人間の活動に適応していく機能を持たせようとする情報技術である。センサやマイクロプロセッサを身のまわりに組み込むことが現実的になった1990年代後半から言われ始めた言葉で、現在もデバイス統合のフレームワークから実験的な住宅まで様々なレベルで開発が行われている。その環境知能の会議が先日オランダであった。2001年に欧州連合(EU)が総額37億ユーロという大型の環境知能関連プロジェクトを始めてから今年で10年目にあたり、ひとつの節目を迎えたという段階である。

この10年間ではっきりした環境知能の応用分野の一つは健康管理である。日本同様に高齢化が進むヨーロッパでは、医療費の面からもできるだけ高齢者が入院せずに自宅で生活することが望まれる。そのためには家庭で日常的に健康をモニタリングする技術や、専門家でなくても使いやすい医療機器のデザインが必要である。さらに自宅でも医療機器にお世話になることの抵抗感を軽減させるなど、心理的な面の配慮も必要とされる。従って環境知能は通信、デバイス、メディアなどの情報技術に加えて、医療、建築、心理学などが複合したものになる。例えば今回の会議で発表のあったアーヘン工科大学のフューチャー・ケア・ラボでは、そのような複合分野のeHealthグループを作っている。彼らは環境知能が活かされるためにはヒューマンファクターが重要だと認識しており、実際に壁面全体をタッチディスプレイにしたリビングルームを作って、全身が映る姿勢で医者と話したり、別の家の部屋と視覚的につながったようにできる環境を作ってテストを行っている。

環境知能のもう一つの具体的な応用分野は照明である。例えばEUの環境知能プロジェクトを推進してきたフィリップス社は、時間、天候、道路状況などをモニタリングして道路の照明を自動的に調整して安全性を高めたり、通りを歩いている人の先回りをして街灯をつけるなどエネルギーの無駄をなくす制御を提案している。折しもLED照明が普及してきているが、LEDはエネルギー効率がよいだけでなく明るさの制御もしやすいので、大規模に実用化されればエネルギーの面でも制御の面でも一挙両得になるはずである。

環境知能の技術的基盤はユビキタス・コンピューティングである。ユビキタス・コンピューティングの始まりの一つは、1991年にゼロックスPARCの研究者だったマーク・ワイザーが「21世紀のコンピューティング」という論文をサイエンティフィック・アメリカン誌に発表したこととされている。ワイザーはその中で文字とコンピュータを比較して、当時の(そして今でも)コンピュータがあまりに使い方を限定していると述べている。文字は情報を記録する技術としてすでに長い歴史があり、自然に身の回りのあらゆる所に存在できている。本の表紙でも、机の上のメモでも、街路表示でも、文字を使えば必要な場所に必要な情報を置くことができる。コンピュータが文字のように環境に自然に溶け込めるには、場所を自由に移動することができて、ディスプレイ自体も紙のノートパッドのように机の上に他のものと一緒に広げられなければならないのである。

ユビキタス・コンピューティングはその後、デスクトップからノートパソコン、タブレット、スマート携帯端末という進歩の中で確実に基盤ができてきた。実はワイザーは1999年に46歳の若さで早世し、その後の進歩を見ることはなかったのだが、1995年にもうひとつ、カーム・コンピュータ(落ち着いたコンピュータ)という言葉を提唱している。今のコンピュータはあまりに我々の注意を独占しており、人間はいつも画面を見ていなければならない。しかしすべてのコンピュータがそうである必要はなく、本当は周辺視野にいて、必要な時だけ注意を引くものであればよいはずである。今でもコンピュータが人間の注意を独占する状態は変わっておらず、ユビキタス・コンピューティングの進歩に比べてカーム・コンピューティングはまだ解決されずに残っている課題といってよい。

EUのプロジェクトは2001年の段階で10年後を想定して「2010年の環境知能のシナリオ」という文書を出している。そのシナリオには携帯端末から店の場所を検索するような、今では実際にできるようになったものもある。しかし慣れない場所を歩く時の音声誘導のようにまだ実現していないものもあり、その多くの部分がカーム・コンピューティングの問題意識と重なっている。人間の本来の活動を邪魔せず支援するという環境知能の目的にとって、この点が残された課題であろう。これから次の10年間での環境知能の進化を見ておきたい。


eHealth2011.png


アーヘン工科大学のeHealthグループが実験しているマルチタッチスクリーンのあるリビングルーム
http://www.youtube.com/watch?v=IAnmpswTCa0