デザインテクノロジーの最前線 - 桐山孝司

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2012.08.01ホックニーのリバース・エンジニアリング

デイヴィッド・ホックニーは75歳の現在でも絵を描いている画家だが、10年ほど前にしばらく研究に没頭していた時期があった。彼は最初、19世紀前半のアングルの肖像画が驚くほど精密なのを見て、どうやって描いたのか興味を持つ。写真技術は当時まだ試行錯誤の時代だったので、アングルが別の光学機器を使ったと考え、カメラ・ルシーダだと想定した。カメラ・ルシーダは支柱の先にプリズムをつけた装置で、1806年に特許化されている。カメラ・ルシーダのプリズムを通して見ると、手元の画用紙に正面の人物の像が重なって見えるので、像を見ながらスケッチできるようになっている。

ホックニーは自分でもカメラ・ルシーダを使って肖像画を描き、いくつか発見をする。その一つは、アングルの描いたスケッチの線が、対象の輪郭ではなく陰影をなぞっていることである。これは映像をトレースするときの特徴で、プロジェクターの投影をなぞって絵を描いたアンディ・ウォーホルのスケッチにも同じような線が見られる。またカメラ・ルシーダでは配置が変わると像の大きさが変わってしまい、正しいプロポーションでなくなる。実際、アングルの絵にもそのような不釣り合いを見つけている。

さらにホックニーは、より古い絵画の中にも光学機器を使った証拠を見出す。17世紀のフェルメールが光学機器を使ったことは美術史家の間でも認められつつあったが、ホックニーは絵の中に光学機器特有のピントが合わない箇所を見つけている。フェルメールの時代にはカメラ・ルシーダはなかったが、もっと昔からカメラ・オブスクラが知られていた。カメラ・オブスクラ(暗い部屋の意味)は明るい屋外から針の穴やレンズを通して暗い部屋に光を入れると、屋外の風景が壁に映る現象を使っている。さらにフェルメール以前の時代にも、ピントの合う部分をつないで描いたために遠近法から外れたと思われる絵が見つかった。光学的な機器では画面全体に焦点を合わせることができないので、ずらしながら描く必要があり、よく観察すると破綻が見えるのである。

ホックニーはカメラ・オブスクラと同じように凹面鏡も試していて、明るい外の景色を暗い部屋の壁に反射させると、まるで映画のように映像が映ることを確かめている。人物の顔が生き生きと描かれるようになった時代から急に、顔に強い光が当たって陰影が濃く瞳孔が小さくなった絵が目立つようになるが、これは光学機器に必要な光を取り込むために人物を屋外に置いたと考えると納得がいく。このように、ホックニーは自分の手を使うことで光学機器を使って描くことに詳しくなり、昔の画家がどうやって描いたかを見つけていった。彼のプロセスは技術の言葉で言えばリバース・エンジニアリングである。リバース・エンジニアリングは製品を分解して仕組みを解明する作業で、コピー商品や違法ソフトができてしまうマイナス面もあるが、技術の競争と進化に必要な手段である。ホックニーはこの研究の結果を「秘密の知識」という本にまとめている。この本の大部分は、光学機器を使用して描いたと見られる絵の中の証拠を集めたものである。機械で言えば製造方法を記入した図面が失われた製品を見て、こう設計したはずだと推測するリバース・エンジニアリングの実例集のようで、非常に面白い本である。

もう一つ、ホックニーは手を使って描くことと平行して、情報の視覚化を行っている。自分のスタジオの壁に何世紀分もの西欧絵画のコピーを貼って一覧できるようにしている。時間軸を左から右に、北欧と南欧を上と下にして絵を配置したこの壁によって、1420年前後から急に絵が写真のように正確になったことが分かった。つまりここが光学機器の利用が始まった時点ということである。このような視覚化の作業が可能になったのは、DTPで美術書のカラー画像が格段に良くなり、カラースキャナやプリンタで簡単に絵を拡大したり比較できるようになったおかげだという。コンピュータを使った視覚化が単にきれいなグラフィックを作ることでなく、素材から探索する環境を作ることだという実例として興味深い。

ホックニーは自分自身が写真を使って多視点から見た風景画を作っている画家である。その経験からくる洞察力が秘密の知識の解明に役立ったのは確かだが、それだけでなくコンピュータが可能にした技術を活用して発見するアプローチが面白い。彼は現在でもiPadで絵を描いたりして新しい技術に対してオープンであり、また何か発見することがあるだろうと思えて楽しみである。


hockney.png

ホックニーのスタジオで、何世紀分ものヨーロッパ絵画を並べて視覚化した壁。