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2006.10.31コミュニティーをまとめるのは、サイトが持つ「パーソナリティー」

インターネット上の百科事典「ウィキペディア」をご存知だろうか。共同作業ツールであるウィキを利用して、ごく普通のユーザーの投稿によって作られている百科事典で、英語版ではすでに142万項目以上の用語が掲載され、さらにドイツ語、フランス語、日本語、中国語など約150か国語のバージョンがある。設立されてたった6年足らずだが、大きな共同作業のプラットフォームに成長し、また「ちょっと調べものがしたい」時の頼りになるサイトである。

「ウィキペディア」は、インターネット時代にしか起こらない集団的善意のたまものと言ってもいい。日本には、インターネット上で集団が集う場所としては2ちゃんねるのような掲示板やその他多くのソーシャルネットワーク・サイトがあるが、ウィキペディアは単に言いたいことを言うのではなく、共同作業を通してひとつの成果物をつくり上げていく場所である。

ある語句に関心を持つユーザーが「エディター」となってまずその用語の説明をすると、他のユーザーがそれに追加したり改訂を加えたりする方法で、少しずつ百科事典ができあがっていく。ただし、作業環境はいつもオープンなので、ある時にサイトで見られるものは常に進行形で永遠に完成しないものでもある。

「ウィキペディア」に対する見方には、賛否両論ある。賛成派は、人々が知恵を絞り、「いいものを作りたい」という善意で百科事典を共同でつくり上げていくことを評価する見方。最近、有名な科学雑誌『ネイチャー』が調べたところでは、科学関連の用語については、ブリタニカ百科事典よりもウィキペディアの方が間違いが少なかったという。否定派は、誰とも知らないユーザーが作っている百科事典など信頼できるはずがないという見方。実際、先だってはあるジャーナリストがケネディ暗殺に関わっていたという悪質な記述が記載されたままに放置されていたことがわかった。かなり質の高い内容が保たれていると同時に、完全には安心できないというのが現実だが、そうした見通しのきかない環境をうまくナビゲートするための仕組みもある。

まずは、ここにすでにできているコミュニティーの力だ。一般ユーザーとは言っても、ウィキペディアの核となっているのは長い間エディターをつとめてきた人々。彼らは一種のバランス感と使命感を持って、ウィキペディアがよい環境に保たれることを護っている。それは決して管理するというやり方ではなく、誰にとってもフェアな環境を作ろうという姿勢だ。

そのフェアさというのは、投稿をする際のフォーマットにも見て取れる。用語説明は単にダラダラと記述するのではなく、わかりやすい項目に分け、必要ならば写真もつけ、さらに引用の出典を明らかにする。言ってみれば、論文を書くのと同じ方法論が期待されているのだ。また、たとえば政治的な用語に関しては、保守系、リベラル系双方の投稿を含むといったフェアさも求められる。

おもしろいのは、エディターの間で用語記述をめぐって争いが起こった場合の解決方法である。ウィキペディアにはいろいろなルールがあって、まるで国家間紛争の調停のように解決がなされる仕組みになっている。二者間で争いが起こると、まずは用語記述のページ上で書き換え合戦をするのではなく、「話し合いページ」へ場所を移してやりとりが行われる。頭を冷やすためだ。もし二者間でもラチがあかない場合は、第三者が介入し、それでも収まらなければ広くユーザーの意見を募るという方法になる。それでもまだダメな場合は、調停委員会という10数人の選出メンバーによって構成されるグループに持ち込まれ、ここで話し合いが行われる。その話し合いはメーリングリスト上で進行するのだが、その様子はすべてウィキペディアのサイトで公開され、議論がオープンにされる。

ウィキペディア創設者のジミー・ウェールズに話す機会があったが、彼によるとこうしたルールは、最初からきっちりと打ち立てたものではなく、少しずつ作られていったものだと言っていた。百科事典をつくるという作業でなくとも、メール上で、あるいはインターネット上での争いや「サイト荒らし」はよくある話だ。それをうまく解決していくのは、長い間かかって作り上げられたそのサイトのパーソナリティーである。ウェールズも、「ユーザーが同じ目的を共有していること。そしてコミュニティーを細やかにメンテナンスすること」がサイトが成功するポイントだと語っていた。パーソナリティーの形成には、時間と手間を惜しんではならないのである。