米国マーケティング最新事情 - 瀧口範子

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2010.06.02フォーム・ファクターから見たiPadの使い方

日本でもついに発売されたiPad。アメリカに次いで世界の主要国で同じように発売されたので、世間はiPad一色になっている感がある。

アメリカではユーザーがすでに2ヶ月の時間を経て、iPadのさまざまな使い方を習得してきた。その観察から、そして自分の体験も含めて、iPadとはどんなデバイスなのかを、その形態から考えてみたい。つまり、機能は同じようなものであっても、形態(フォーム・ファクター)が異なるだけで、こんなに使い方やユーザーの意識が変わるものなのかが興味深いのだ。

iPadは、つまりはiPhoneを大きくしたようなものである。ことに機能上はその通りだ。だが、ネットブックと同じくらいのスクリーン・サイズを持ち、それでいてキーボードがついていないというだけで、使い方がかなり異なってくることが実感できる。

たとえば、私は食卓上にいつもiPadを置いておくようになった。使い道はふたつ。朝の新聞をiPadで読むためと、夜のレシピをiPadで探すためである。新聞はどうしてもウェブで読むのが嫌で、ずっと配達を受けていたが、iPadを手にしてから紙にこだわらなくなった。まだ両方見比べて実験中で、配達をやめるべきかどうか、迷っているところだ。

iPadの新聞がウェブと異なるのは、見やすいことである。ひとつには、iPad仕様にフォーマット化された新聞がニューヨーク・タイムズやウォールストリート・ジャーナルから出されている。これならば、きっちりとフレームの中に収まった記事が実に読みやすい。

しかしウェブ版であっても、iPadになるとなぜか見やすいのだ。それは、大きなデスクトップやラップトップのコンピュータなら、記事を読みやすい大きさにしても、一方で周辺の広告やら他のリンクやらが端に見えていて、気が散るからだろう。

だが、iPadになると、ウェブ版を読みやすいところまで拡大すると、雑音的周辺も一緒に切り落とされてしまう。iPad仕様ほどにはきっちりとしてはいないものの、充分に集中できるのだ。朝食を食べる際には、今やiPadをドックに立てて、そこで新聞を読むというのが習慣になりつつある。このスクリーンの大きさ(小ささ)も、目をそこへ集中させて向ける対象として、最適サイズのようである。

夜のレシピに関していえば、1日仕事をして、もうコンピュータに向かいたくないという気分の時に、iPadがあったと嬉しくなることが多いのに気づいた。レシピを探したいのに、キーボードのあるコンピュータの前に座るとまるで仕事気分になってしまう。すっかり興ざめである。

これは、何もレシピでなくとも、オンライン・ショッピングでもいいし、友達に送るメールやらツイッターでつぶやくことであっても同じだろう。キーボードがないだけで、仕事の雰囲気が消えてしまうのは、タブレット・コンピュータ初体験者にしかわからないことかもしれない。

ずいぶん以前から、キッチン・タブレットというコンピュータが普及するといわれてきたが、iPadを手にして、その時が本当に近づいているのが実感できるのだ。

反面、読書には大変不向きだと思っている。
アップルが開発した電子書籍リーダー、iBookはソフトとしては大変なすぐれもので、あまりにインターフェイスがおもしろくて、むやみにページを繰りたくなるほどだが、実際にiPadを手に持って読書をする気にはどうもなれない。重いからだ。

片手で持つのはもちろん、両手で抱えても、重い。腕をテーブルの角で支えるか、ソファに座って膝の上で支えるかしなければ、もたないほどだ。何人かに読書の仕方を聞いたが、ベッドで読む人は枕を支えにするなど、それぞれの苦労と工夫をしているようである。

形態でいうと、もう1点。デザインがあまりにスマートなため、手がひっかかる部分がないのも問題だ。素材もメタルですべるので、余計にしっかりと持たなければならない。

おもしろいことに、サードパーティーから出されているカバーに、幅広のゴムバンドをつけて、後ろで手が支えられるようになったものがいくつかある。アップルは、あくまでもスマートさを保つが、まわりの人々がかゆいところに手が届くような製品を開発する。これも、すでにアップル製品のエコシステムのようなものだろうか。

ただ、モバイル的という点でいえば、このスリムな形態が「持ち運ぼう」という気にさせるパワーを持っているようだ。まるでメモパッドのような大きさと薄さ。やや重いが、メモパッド以上に使える機能がたくさんある。かさばらないのだから、持ち歩こうという気になるのだ。

iPadに限らず、これから続いて出てくるであろうタブレット版コンピュータは、確かにわれわれの生活やコンピュータとの関係を変えそうだという予感がするのである。