米国マーケティング最新事情 - 瀧口範子

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2011.09.06実社会の流儀を投影する、新しいSNSグーグル・プラス

まだ本格的に公開されてはいないが、グーグルが新しく開発したソーシャルネットワーク・サービス(SNS)「グーグル・プラス(Google+)」の評判が、大層いい。フェイスブック、リンクトイン、ツイッター、そして日本ではミクシーやはてななど、いろいろなSNSがある中で、なぜグーグル・プラスへの共感が高まっているのか、それを考えてみたい。

グーグル・プラスにはいろいろな特徴があるが、もっとも重要なのはSNSで当たり前のように使われている「友達」というコンセプトを再考したことだろう。たとえば、フェイスブックでは相手は「自分の友達か、そうではないか」によって二分される。友達はみなフェイスブック上で情報を共有することになる。友達でなければ自分のフェイスブックのアカウントには名前がないというわけだ。ただ、みながネットワークを広げていくにつれ、いろいろな人とつながりができる。そして、本当に親密な友達と考える以外の人々も、「友達」として登録されることになる。「友達」という名前自体が居心地の悪いもの、あるいは内実の合わないものになっていた。

一方、グーグル・プラスは、ユーザーの人間関係に濃淡を持ち込んだ。友達か否かではなく、「いろいろなタイプの知り合いがいる」というアプローチだ。グーグル・プラスには「サークル」という機能があるのだが、グーグル・プラスを始めるとまず、自分の知り合いをいろいろなサークルに入れるところから作業を開始するという感じである。サークルは、家族、友達、同僚、高校の同級生、飲み仲間、釣り仲間など何でもよく、サークルの命名も自分ですればいい。そこにいろいろな知り合いを入れていくのだ。インターフェイス・デザインもシンプルで、わかりやすい。

グーグル・プラスが出てくるまでは、インターネット時代のネットワークは大っぴろげに「みんなが友達」のような気分でやっていかなければならないのだろうと、みな思ったはずだ。だが、実際の生活ではもっといろいろな人間関係がある。そのふたつがうまく噛み合ないため、いろいろな問題が起こっていた。たとえば、友達に話しているつもりの内容を、自分の上司も読んでいたとか、自分の上げた写真が、そのつもりもなかったのにみんなと共有してしまっていたといったようなことである。フェイスブックでは友達のグループ分けもできるが、その方法も簡単ではなく、アップするフィードや写真などの共有範囲の設定も難しかった。プライバシー設定もわかりにくく、いろいろな混乱が起こっていたのだ。またそれ以上に、「友達」のネットワークということになっているのに、言っていいこと、上げてはならない情報などがあって堅苦しく、結局は過度にオープンになるか、差し支えのないことしかやらないかの、どちらかになってしまう可能性があった。

グーグル・プラスの面白い点は、後付けで友達をグループ分けするのではなく、最初からサークルに分けることで、これらの問題が起こるのを防いでいることである。フィードや写真は、アップする時点でどのサークルに公開するかをひとつひとつ定めることができる。フェイスブックは、グーグル・プラスがスタートした後に、同じような設定方法に変更したほどである。

グーグル・プラスには、サークル以外にもサークル内のインスタント・メッセージングやビデオ会議などの機能があるが、それらもサークル、あるいは特定の相手を選んで行うことができるようになっている。つまりは、ここでの人間関係は実にフレキシブルなのである。

グーグル・プラスがやったことは、インターネットの流儀と実社会の流儀をうまく取り混ぜたことだろう。インターネットの流儀だけでは、理想的だが無理がある。実世界の流儀だけでは、オープンさなどのインターネットの利点が活かせない。そのふたつを、伸縮自在な方法で組み合わせたからこそ、グーグル・プラスは大きな共感を持って迎えられているのだ。

そうして考えると、われわれが日常的に使っているインターネット・サービスでも、いろいろ無理のあるディテールがあるのではないだろうか。インターネットの流儀がわかってきたところで、今度はそれを実社会と照らし合わせて再考するのも必要なことだろう。