米国マーケティング最新事情 - 瀧口範子

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2013.04.18スキューアモーフィズム vs. フラットデザイン

テクノロジー界、ことにユーザーインターフェイス(UI)デザイン界で今、大きな話題になっているトピックがある。「スキューアモーフィズム(skeuomorphism)は、もう古いか」というものだ。

スキューアモーフィズムということばを初めて耳にする向きも多いだろう。だが、目では多くのスキューアモーフィズムを見ているはずだ。スキューアモーフィズムというのは、「ある機能性を、別の装飾的なものによって表現すること」といった意味だ。典型的なのは、コンピュータやスマートフォンの画面上で使われているアイコン。たとえば、カレンダーのアプリケーションを日めくりカレンダーの絵で示したり、電話機能を電話機で示したりする。これは、特にアップルコンピュータで上手に使われているもので、デジタルに動くものであっても、現実の世界でわれわれが使い慣れたものの形を借りて表現することで、目的や使い方をわかりやすく伝えようというものだ。

スキューアモーフィムズはアイコンのような「印」として用いられるだけでなく、その機能部分にまで浸透している。つまり、手帳のアイコンをクリックすると、中味まで現実の手帳のようなつくりになっていて、ページに文字を書き込んだり、ページをめくったりすることができるようになっている。使い勝手まで、現実のもののあり方を借りているわけだ。

このスキューアモーフィズムは、これまですぐれたUIデザインの方法だとされてきたのは、よくご存知だろう。そんなアイコンがあるからこそ、誰も機能を見間違うことはなかったし、馴染んだモノと同じように使えるので安心感もあった。ところが今、「もはやスキューアモーフィズムに固執する時代は過ぎたのではないか」という意見が強くなっているのだ。

スキューアモーフィムズでなければ、代わりに何を使うのか。それは「フラットデザイン」である。フラットデザインとはフラットな画面のためのデザイン。すなわち、デジタルのためのデジタルなデザインのことである。もう、現実のモノに頼るのは止めて、そろそろデジタル自体の特質を活かしたデザインのあり方を探求した方がいいのではないのか、というのが、スキューアモーフィムズ脱皮説支持派の考え方なのだ。

フラットデザインの先駆けとして評価されているのは、実はマイクロソフトのウィンドウズ8の新しいUIデザインである。ウィンドウズ8のデザインは、アイコンではなく、四角いタイルが並んだような面で構成されている。面をタッチすると、そこから新しい世界が出てくる。色と形によって作られている面は、まさにフラットな画面にふさわしい。もちろん、機能部分まで含めて見れば、フラットデザインをマスターしたとはとうてい言えないが、何か新しいUIのあり方を求めていることは伝わってくるのだ。

スキューアモーフィムズから脱皮しなければならないとされる理由はいくつかある。ひとつは、モノのメタフォーに頼っていては、反対にそれに縛られてしまい、デジタルならではの飛躍したUIデザインが出てこないからである。たとえば、メモ書きをするとして、それがメモ帳を模した紙の上に書くばかりでは、新しい展開がない。ひょっとしたら三次元空間に文字を入れてみるとか、平らでない湾曲した表面に文字を書くといったことによって、文字の新しい意味合いや機能性が見いだされるかもしれないのに、その可能性をスキューアモーフィムズが殺しているわけだ。

あるいは、スケジュール帳も手帳のようなかたちではなく、時間(時計)と空間(地図)が合体したプラットフォームの上に書き込めるようになればどうだろう。そこからとんでもないアプリケーションが生まれるかもしれないし、われわれの頭の構造も変わってくるかもしれないのだ。
スキューアモーフィムズを離れるべきもうひとつの理由は、若い世代がもう古いモノ自体を知らないからである。たとえば、住所録を実際に使った世代は、20歳以上だろう。今の10代の若者は、ひょっとすると住所録などまったく使うことなく育ってきたかもしれない。そうした世代に向けて、古くさい住所録のかたちをしたアプリケーションを押し付けるなど、無理があるというものだ。

スキューアモーフィムズからの脱皮は、UIデザインにとっては大きな飛躍となる。ジェスチャー入力や音声入力など、入力の新しい方法が現実のものになってきたが、それと並行して機能のあり方自体を定義し直すようなことになるかもしれない。ここへ来て、実にエキサイティングなUIの新時代が到来しそうなのである。