デザインテクノロジーの最前線 - 桐山孝司

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2009.05.12体験を強化する演出力

先日横浜で、開港150周年記念テーマイベント「開国博Y150」の開幕にあたり、ラ・マシン(La Machine)のパフォーマンスがあった。ラ・マシンはフランス・ ナント市の工房で劇場や野外のための大規模な機械装置を作っている集団である。これまでにロワイヤル・ド・リュクス劇団と一緒に、 巨大な象と少女が出会う「スルタンの象と少女」などのパフォーマンスをヨーロッパで行っている。

ラ・マシンは今回横浜で、巨大なクモの機械を使った4日間のパフォーマンスを行った。彼らのパフォーマンスを見て感心したのは、 一見乱暴と思えるような演出をしているのに観客の心を掴むことである。巨大グモはゆっくりと進みながら、8本の足を観客の頭上まで伸ばす。 街路樹よりも高いところにある足は見上げるようで、ショベルカーの下に立ったような危険な感じがする。 その上巨大グモが噴き出す水が降りかかったり、白い泡が綿毛のように髪についたりと、沿道で見ている観客もかなり被害を受ける。

この一見乱暴な演出はもちろん計算されたもので、あり得ないことをあり得るように感じさせる工夫が凝らされている。 高さ12mの巨大グモが進んでくる様子は、SF映画のスター・ウォーズを見ているようである。 ただし映画ならばセットで撮ったものを画面で見るので、物語に没入しても現実が変わることはない。しかしラ・ マシンは建物や電柱と同じ大きさの機械を街中に持ち込むことで、現実をセットに変えてしまう。 そこでは人間は水のしぶきをかぶるような小人に過ぎない。現実を変える力に巻き込まれると、 観客の方もそういう世界を受け入れる態勢になってしまうのである。

さらに巨大グモの演出を支えているのは、音楽と物語である。クモの後ろには数台のリフトに乗ったバイオリンやフルートの楽団が続き、 一緒に移動しながら生で演奏する。音はどうしても小さいのでアンプを通しているが、パレードのような騒々しい音ではなく、 幻想的な味わいを出している。巨大グモが機械の点検のために途中で停止しても、演奏者たちは合間に音合わせなどしているのだが、 その臨機応変さも現場での臨場感を高めて、また今にも動き出すぞということを音で伝えているようである。

物語の面では、詳細はほとんど市民に知らされておらず、直前になってこの巨大グモのパフォーマンスが4日間続くということがわかる。 実際の印象を強くするには、うわさが自発的に広まっていくようなコントロールが必要なのだろう。当日配られた読売新聞PR版によると、 1日目は「未明に横浜開港時の波止場『象の鼻』に一匹目のクモが漂着する。 驚いた横浜市はクモの扱いに慣れたフランス人主体の科学探検隊に協力を要請。同市が、横浜赤レンガ倉庫付近に探検隊の基地を設置する」 で始まり、2日目は「音楽で目覚めたクモがパニックに陥り、赤レンガ倉庫付近で暴れ出す」。そして3日目は 「未明の新港ふ頭に2匹目のクモが宙づり状態で出現。探検隊が1匹目のクモを赤レンガ倉庫から新港ふ頭へ移動させながら調教」し、 4日目には「新港ふ頭で2匹のクモが出会い、意気投合。一緒にみなとみらい地区に散歩に出かける。最後は一緒に新港ふ頭に戻り、 ファイナルシーンを迎える」というシナリオである。

巨大グモが漂着するという突拍子もない物語だが、これだけ仰々しい内容だと話題にすること自体が楽しい。実際、 現場では巨大グモに目を奪われるので物語はそれほど大事ではなくなってしまうのだが、 行くまでは何だかわからないがとにかくいってみようという気にさせる。物語としては人から人へと語られること、 最終的に人を現場へと行きたい気にさせることができれば十分だといえる。ラ・マシンとともに「スルタンの象と少女」を作ったロワイヤル・ド・ リュクスの演出家ジャン=リュック・クールクーは、自分はジュール・ベルヌに強い影響を受けたと語っている。 ベルヌは19世紀に地底探検や海底二万マイルなど、今日でも読めるSF冒険小説を書いた作家である。クールクーはベルヌの想像力を吸収して、 観客を現場へと動かす物語を作り出したのだろう。

イベントのあった翌日に巨大グモの詳細を見ることができたが、油圧で動く建設機械を組み合わせたような作りで、 コンピュータらしいものはほどんどなかった。動かす時には20人ほどのクルーが各自の操縦席に座り、 それぞれ全体を支えるクレーンやクモの足一つずつの運転を担当する。機械を動かすのも音楽を演奏するのも、 もちろん演出や物語を作るのも人間である。要するにラ・マシンは見かけこそ巨大ロボット風だが、 完全に人間がアナログ的に演じているのである。その分、大道芸のように乱暴なほど観客を巻き込んだり、 ぎりぎりまで近寄ったりできるのである。

何もかもが安全で上品に受け入れられやすくパッケージ化されている現在のサービスのことを思うと、ラ・ マシンの荒々しさは逆に新鮮に感じられる。自動化して人を寄せ付けなくせずに、観客に接近することを第一に考えているともいえる。 もちろんその背後には手間のかかるアナログ的な演出があるのだが、ありえないことを体験するには、 見る側にそれだけ強く働きかける必要がある。自動化では置き換えられない強い体験を考える上で、ラ・ マシンのパフォーマンスは大変参考になると思う。

 

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