デザインテクノロジーの最前線 - 桐山孝司

m.c.t.ホーム > エクスペリエンスマガジン > デザインテクノロジーの最前線 - 桐山孝司 > リアクティブ・ミュージックを作るコミュニティ

2011.08.22リアクティブ・ミュージックを作るコミュニティ

クリストファー・ノーラン監督の「インセプション」は、ライバル企業の後継者の夢の中に潜入して、無意識にその企業を崩壊に導くように仕向けるという映画である。次々に現れる夢の世界を豪華な映像で描いていて視覚的にも引き込まれるが、たたみかけるような繰り返しで頭の中に浸透してくる音楽も印象的である。

そのインセプションの音楽を担当したハンス・ジマーと組んで、ロンドンのリアリティ・ジョッキーというチームが、Inception The AppというiPhoneにダウンロードするアプリケーションを作っている。映画のインセプションのように複数の夢の世界があり、それぞれの中では映画で使われていた音楽が再生される。ただ楽曲でなくアプリケーションになっているのは、音楽が周りの環境に反応するしくみになっているからである。

例えば聴いている人が立ち止まっていると、静止という夢が始まる。この夢ではDream is Collapsingという曲が使われているのだが、iPhoneのマイクから入ってくる音がエコーしてかぶさり、リアルタイムに音が変化する。他にも聴いている人が動いているときに再生される夢、移動中に再生される夢、満月の夜だけ再生される夢、空港で再生される夢や、アフリカに行かないと再生されない夢もある。彼らはこういう形で環境に反応する音楽を、リアクティブ・ミュージックと呼んでいる。

Inception The Appの元になっているのは、同じリアリティ・ジョッキーが提供するRjDjというiPhone用の一種の音楽プレーヤーである。そこにシーンと呼ぶ音をダウンロードして聴くのだが、シーンの再生中に画面をタッチしたりデバイスを傾けたりすると音が変わっていく。またマイクから拾った環境音を加工して音楽に取り込むシーンもある。シーンによってはボタンがあり、押している間、対応する楽器のトラックが加わるようなアレンジもできる。iPad用のRj Voyagerでは、音のパラメータを視覚的に調整できるインタフェースも用意されている。ダウンロードしたシーンはRjDjのアドオンとしてインストールされるので、iTunesの操作に縛られず、RjDjが独自にインタフェースを改良することができる。

さらに、自分で作った音をRjDjのサイトにアップロードして共有することもできる。例えばWorldQuantizerは環境音を拾い集めながらジャムセッションのように音楽を作って行くシーンで、テーブルの上で録音していると食器のふれる音などが組み合わさって一つの音楽になる。録音した音を共有すると、ちょうどブログをみるように、ある日の誰かの朝食のテーブルの様子が想像できるというわけである。録音してアップロードする操作にほとんど手間がかからないのもブログに似ている。

RjDjのコミュニティに参加しているアーティストのためには、自分でシーンをつくるためのエディタも用意されている。デバイスからの入力やエフェクトのモジュールを組み合わせてシーンを作ればよいので、プログラミングの必要もない。RjDjの背後にはPure Dataという音のプログラミング言語が動いていて、シーンに組み込むモジュールの機能をプログラミングすることもできる。全体としてみれば、基盤としてPure Dataというプログラミング環境があり、その上にRjDjというリアクティブ・ミュージックを共有する環境があり、さらにその上にアーティストらが創作した無償または有償のシーンが流通する。ここでは特化しているが、小規模でも立派なマーケットが成り立っている。

RjDjを作ったマイケル・ブライデンブリュッカーは、以前はLast.fmというユーザの音楽の傾向をデータとして集めてユーザ同士の交流や新しい音楽の紹介をするSNSを運営していた。RjDjで自分の音を共有できるようにしているのも、SNSの延長上にあるようである。ただそこで止まらず、RjDjではリアクティブ・ミュージックの市場を作って誰でも参加できるようにした。これは単なるSNSを超えて、ユーザの創作意欲を満足させるという次の段階に進んでいるといえる。RjDjはユーザとアーティストとを近づけ、共有から創作に向かうコミュニティを作っているという点で興味深い事例である。

201108-rj_voyager.JPG

iPad用のRj Voyager。シーンに含まれるパラメータを変えて自分の音を作れるようになっている。